寝れない春

世間は花見で随分騒がしいようだ。桜を見るのはひとりが良い。 生まれてこのかた花見をしたことがない。誘うこともなければ誘われたこともない。  桜を見るなら静かな場所で佇みたい。  そういえば父と桜を見たことはあるのだろうか? 思い出せない。   たった九年間しかいられなかったわけだからなくてもおかしくはない。  最後に桜を見たのは桜の散りゆく姿だったように思う。  10年ほど前だったか。  花はときにはさみしさを誘う。  公園の桜の下に、捨てられて死んでしまった子猫を釣りのおばあちゃんと埋めたことがあった。  二匹共に別々の場所であり 一匹は垂れ桜が見事な木の下であった。  桜に感動を覚えたのはこの時が初めてであった。 今日もきっと見事に咲き誇っているに違いない。  桜をお墓に供えるのはどうだろう。  父のお墓参りには何度か行っている。  行き交う人々は皆家族や親戚の集団の様で、私のように一人で来ているのは少し浮いていた。  なんせ一昨年だったかの父の命日近くには、薔薇をそえたのだから。  私は無知で薔薇一本がそんなに高いものだとも知らずに、二本しか買えなかった。  普通のお花が良かったかもしれない。  しかも薔薇はトゲがあるから向いていない、とお花屋さんが言っていた。  とことん無知である。  私の愛するミュージシャンの命日には決まって色とりどりの薔薇が添えられる。  しかも一本二本ではない。  束なのだ。 それはミュージシャンだから、とゆう声が聞こえてくるが。  なんだか父に申し訳なくなった。  今年の花はきちんとしたものをあげよう。