命日

父の命日は7月に入りもうすぐだ。

父の命日は非常に蒸し暑い時期であり、長時間いるのが大変で、日にちをずらし行くこともあった。

命日にひとりで訪れたのは1度だけである。




父が出棺される前、家の前でお坊さんがお経を唱えたり身内が挨拶をしたりするのだが、とんでもない土砂降りと雷だったことを覚えている、これは私の傷のひとつでもある。父の憤りさえ感じる、怒りと悲しみの、雨、そして雷だ。きっと皆そう思っていたに違いない。そして、その時の私の感情は怒り、であった。父を陥れた人達への。そして何も出来ないただの子供だった自分への、怒り。


 
皆の喪服が雨で塗れ、狭い家の前で傘を持つ人々。私は誰か大人の傘にいれてもらい、止めどなく涙が溢れていた。誰もがなんと声をかけて良いのかわからない、とゆう気持ちが読み取れていた。

歳上の従姉たちは心配そうに目を配っていてくれたのを今でも覚えている。お姉さんだけあって私が園児の時にはお下がりのマニキュアをもらったり口紅をもらったり、とっても良くしてもらったのだがお礼ひとつ言えず、今では実家を出、家族を含め、誰一人と私の居場所を知らない。たまに心苦しいときもあるのだ。





そして、誰にも言わずお墓に行きお花をそえる。

父のお墓には、祖母、祖父、伯母、伯父、と埋葬されているのだが父は二番目に入るくらいそれは早い死であった。自分の両親より早く亡くなったという現実は辛いものである。





自分の家庭内は崩壊し、お墓をもてていないから、きっと父と同じお墓に入ることはできないのだと思う。

というのも、お墓の内部が雨水で浸水し、骨壺が浮いてしまい、それぞれのお骨もバラバラになってしまったという出来事があったのだ。それは拾われそれぞれに納め直したということだが、父の骨壺に父の全てがないなんて信じられないし怒りさえわくのである。  

父の骨壺は確か白、だと言っていたが、確かな話ではないし、まさかそれぞれの名を刻めず納めるとは思いもしなかった。どうなのでしょう。こんなことってあり得るのでしょうか?




だから私がお墓を買ったとしてもどれが父なのかわからないから移せないのである。

ならば私が会いに行けば良いし、死んだら肉体はおいて行くしかないのだから、、、きっといつか会えると、会えると、、信じて。


お父さん。